現代語訳

諸事情による不完全版
明日にでも完全版に仕上げます
中途半端で申し訳m(__)m

K林2の2
宇治拾遺物語第12巻151
河原院に融公の霊が済む事


今は昔、河原院は融の左大臣の家である。陸奥の塩釜の風景をまねて庭をつくり、海水を汲み寄せて塩を焼かせたりなど、さまざまな風情の限りを出して住まわれた。大臣が亡くなってのち、宇多院に献上したものである。延喜の帝(醍醐天皇)がたびたび御幸になった。
まだ宇多院がお住みになっておられたころ、夜中時分に西の対屋の塗籠を開けて、そよそよと人がやってくるように思われたので、ご覧になると昼間の礼装をきちんと着用している人が太刀をつけて、笏を持って二間ばかりさがってかしこまって座っていた。「お前は誰か」とお尋ねになると、「ここのあるじの霊でございます」と言う。「融の大臣か」とお聞きになると、「そうでございます」と言う。「では何事か」と尋ねになると、「わが家

2の4

K山
土佐日記舟出




男も書くという日記というものを女も書いてみようと思って書くのである。
承平4年の、12月の、21日の午後8時頃に出発する。
国司の館からの出立の様子を少しばかり紙に書き付ける。
ある人が、国司としての任期の4・5年が終わって、定められた国司交代の際の
引き継ぎ事項事務をみなすませて、任務完了の解由状など受け取って、
住んでいた国司の官舎から出て、船に乗るはずの所へ移る。
あの人もこの人も、知っている人も知らない人も送る。
長年の間、仲良くつきあってきた人々は、特にわかれ難く思って、一日中盛んに
荷物の整理、引っ越しやら、送別やらで大騒ぎしているうちに、夜が更けてしまった。
22日に、和泉の国まで、平穏無事であるようにと、心静かに神仏に祈願をする。
藤原のときざねが船旅であるのに馬のはなむけをする。
身分の上の者も、中・下の者も、すっかり酔いしれて、ひどく見苦しいさまで海辺でふざけあっている。
23日。八木のやすのりという人がいる。この人は、国司の役所で必ずしも召し使ったりする者ではないそうである。
この人が、いかめしい様子で、餞別をしてくれた。国司の人柄だろうか、田舎人の人情の常として、「今となっては。」
と言って顔を出さないそうであるが、真心のある人は、気兼ねしないでやってきたのである。
これは、物をもらったからほめているのではない。
24日。国分寺の住職が、餞別をしにお出ましになった。
身分の高い者も、低い者もすべて、子どもまでも酔っぱらって、「一」という文字さえ知らぬ者が
その足は「十」文字に踏んで遊び興じている。


↑テスト範囲
↓範囲外


(夜が更けてから京に入ってくるので、いろいろな場所もよく見えない。
京の地に足を踏み入れて嬉しい。
我が家に着いて、門の中にはいると、月の光が明るいので、実に良く様子が見える。
うわさに聞いていたよりも以上に、話にもならないぐらいひどく壊れ傷んでいる。
家に預けて留守を任せておいた人の心も、すさんでいるのだった。
中垣はあるけれども、一軒の家のようだからと、望んで預かっていたのである。
そうではあるが、つてがあるたびに贈り物を絶えずしてきた。
今宵は「ひどい荒れ方だこと。」と(不平を)大声で言わせない。
実に薄情に思われるが、お礼はしようと思う。
さて、池のようにくぼんで、水のたまっている所がある。
ほとりに松もあった。
5年か6年のうちに、千年も経ってしまったのであろうか、一部はなくなってしまっていた。
新しく生えたのがまじっている。
だいたいが、みな荒れてしまっているので、「まあ、ひどい。」と人々は言う。
思い出さないこととてなく、あれこれ悲しく恋しい中でも、この家で産まれた女の子が
一緒に帰らないものだから、なんと悲しいことか。
同船の人も、みな子どもが寄り集まってわいわい大騒ぎする。
こうした騒ぎの中で、やはり悲しさに耐えかねて、ひそかに気持ちのわかる人と読みかわした歌、

この家で生まれた子でさえ死んで帰ってこないのに、
このわが家に小松が新しく生え育っているのを見るのが悲しいことよ。)

K山孟子
http://oak.zero.ad.jp/teru/gakusyu/mousi/honbun.html


他人にむごいことができない心

 孟子は言う。
「人間たるもの、誰でも他の人間に対して放っておけない心があるものだ。いにしえの王は、この他の人間に対して放っておけない心を持って、他の人間に対して放っておけないという政治をした。このように、他の人間に対して放っておけない心を持って、他の人間に対して放っておけないという政治をするならば、天下を治めることは手の平の上で転がすようにたやすいことだ。
人間が誰でも他の人間に対して放っておけない心があるという理由は、こういうことだ。
今、ちっちゃい子供が井戸に落ちかけていたとする。これを見たらどう行動するか?誰でもこれはいかん!とあせってかわいそうだ!と思って助けるだろう。その瞬間、これをネタに子供の父親母親に取り入ってやろう、などとと考えないだろう。地元の英雄になって友達から賞賛されたい、などと考えないだろう。見殺しにした薄情者めと悪名を受けるのはいやだ、などと考えないだろう。こうやって考えれば、惻隠の心(かわいそうだ、と思う心)がないのは、人間でない。
同様に、羞悪の心(悪を恥じる心)がないのは、人間でない。辞譲の心(ゆずってへりくだる心)がないのは、人間でない。是非の心(何が正しいことかまちがっていることかを区別判断する心)がないのは、人間でない。
惻隠の心は、仁の始まりだ。羞悪の心は、義の始まりだ。辞譲の心は、礼の始まりだ。是非の心は、智の始まりだ。この「四端」(四つの始まり)があるのに、仁義礼智の道を行えないと言う者は、自分の価値を貶める者だ。ひるがえって君主に仁義礼智の道を行えないと言う者は、君主の価値を貶める者だ。大体、自分にある「四端」を発展拡張していくことを知る者は誰でも、おこした小さな火がやがて大火となり新しく掘った井戸がやがてどんどん水を噴出すように仁義礼智の道を奥へ奥へと進んでいくのだ。これを大きくしていけば、やがて天下を安んじることもできるだろう。逆に、これを大きくしていかないならば、両親に仕えることすらできない。」

K山韓非子



昔、韓の昭侯は酔って寝てしまったことがあった。
そのとき、主君の冠を管理する典冠という役職にある者が、
昭侯が寒そうにしているのを見た。
そこで、典冠の者は、昭侯の上に衣をかけた。
昭侯は眠りから覚めて、衣がかけられていることに喜び、
こう左右の者に聞いた、
「誰が衣をかけてくれたのか。」
左右の者はこう答えた、
「典冠の者です。」
そのため、昭侯は主君の衣服を管理する典衣という役職にある者と、
典冠の者の、二人とも罰した。
典衣の者を罰したのは、その職責を全うしていないと考えたからである。
典冠の者を罰したのは、典冠としての職権を越えていると考えたからである。
寒さを嫌がらないわけではない。
他者の職務を侵すことの害は、寒さのそれよりも重く見るべきだと考えたのである。

だから、明主が臣下を召し抱えておくときには、
臣下は職権を越えて功績を挙げることはできず、
自分の能力について述べたときは、
その通りの結果を残さなければならない。
職権を越えれば死刑となり、
自分の能力について述べてその通りの結果を残せなければ罰せられる。
仕事を職権の範囲にとどめ、発言に忠実であれば、
群臣は徒党を組んで君主を欺くようなことは無い。





昔、鄭の武公は胡を征伐しようとした。
その為、まず娘を胡の君主に嫁がせ、そうすることで胡の君主の心証を良くしておいた。
そして、群臣にこう聞いた、
「私は戦争をしようと思う。
どこを征伐するのが良かろうか。」
大夫の関其思がこう答えた、
「胡を、征伐なされるべきです。」
武公はこれを聞くと怒り、大夫関其思を殺してこう言った、
「胡は兄弟のような国だ。
そうであるのに、これを征伐せよというのは、何事か!」
胡の君主は、このことを聞いて、鄭が自分たちに親しいと考え、
それから鄭の侵攻に対する備えをしなくなった。
鄭人はその隙に胡を襲って占領した。

宋にある富豪がいた。
雨が降って、家の塀が崩れた。
その家の子はこう言った、
「塀を築きなおさなければ、必ず盗みに入られるだろう。」
また、隣家の父も同様なことを言った。
日が沈んで夜になると、やはり、多くの財産を盗まれてしまった。
その家の人は、その子を相当に賢いと褒め称えたが、
隣人の父に関しては、怪しいと考えた。

この鄭の大夫と、隣家の父との二人は、意見は全て正しいのに、
ひどい場合には殺され、軽い場合でも疑いの目を向けられた。
ということは、知識を得たり本質的に理解したり見分けたりするのが難しいのではなくて、
それらによって得たものをどう処理するかが難しいのである。
だから、繞朝が言ったことは正しく、晋では彼を聖人だと評価したが、秦では死刑にされた。
このようなことについては、考察せねばなるまい。


後はK林の2の2と2の4、それぞれ完全版をあげればいいんだよね
古いやつも過去ログから引っ張ってきて今回の範囲のやつ全部上げるからご心配なく
後2の1のほうは頼みますm(__)m>Lay-Laさん